柳田國男*1の「山人」をはじめ、「遊動性」を通して、真の意味での自由や平等を模索した本書。柳田は「遊動」を2種類に弁別しており、「常民」から弾圧され、国家に抵抗していた「山人(狩猟採集民的遊動民)」と、移動農業・狩猟を行う「山民(芸能的漂白民)」がおり、前者の「山人」は天狗・山童・山女などの妖怪として伝承されることがあったという。
従来、柳田は「山人(狩猟採集民的遊動民)」を重視していたが、1914(大正3)年に南方熊楠によって否定され、「常民(定住農民)」へ傾倒するようになり、1930(昭和5)年頃に「一国民俗学」*2を提唱したが、「比較民俗学」*3が提唱され始めた時期だったため批判されたのだという。
柄谷は、柳田の「山人」放棄を一貫して否定しており、柳田は「碓葉村」で「協同自助(社会主義)」を発見し、「常人」や「固有信仰」*4を通して、「山人」の可能性を研究し、ユートピアの実現を模索していたのだと考察している。柄谷は、柳田の「山人」研究を通して、「国家と資本を超える(自由と平等の実現)」ために「交換様式」を提案している。交換様式Aは互報(贈与と返礼)であり、交換様式Bは再配分(略取と配分)(強制と安堵)、交換様式Cは商品交換(貨幣と商品)」、そして真の意味で自由や平等を実現するためには、交換様式D (かつて存在したであろう交換様式)が重要だと結論付けている。しかしながら、柄谷自身「交換様式D」については明確な解答が出せていないのが現状である。
参考文献&注